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高齢化に対する長期的展望の必要性

2009.04.08 (Wed)

 最近の経済環境は深刻である。この苦境から脱するための方策が今後次々と登場するだろうが、それは短期的な方策と長期的な方策を考えたうえで取り組まなければならないだろう。

 長期的展望に関わり、2001年に世界戦略研究所が行った調査からの提言を、今もう一度思い返すことが必要である。これには元首相の橋本龍太郎やアメリカの元副大統領モンデールなどが関与していた。

「委員会は、世界の高齢化がもたらす変化は甚大で、これまでに例を見ないものであるとの認識でほぼ一致した。

 この変化は、経済成長率や近年の歴史的な生活水準の上昇を維持する上でも、また、現行の高齢者給付を国家が維持する上でも、重要な課題を提起している。

 委員会は、最も直接的影響を受ける国家が、高齢化社会への移行に上手く対処する政策を迅速にとれば、悲観するには及ばないとしている。しかし、改革の先延ばしは、将来、より大きな犠牲をもたらすことになるとも認識している。

 従属人口比率の増加により、先進国においては、賦課方式による高齢者保障を注意深く検証する必要が生じるだろうと予測。

 現在の税率では社会保障制度が維持できなくなり、この10年間で重大な改革が必要になる場合も考えられる。

 但し、時宜にかなった対策がとられれば、賦課方式年金が直面する課題が深刻にはならない場合もあるとした。

 委員会は、高齢化社会への移行に上手く対処し、かつ持続可能な老齢年金および医療制度を確保するためには、社会保障、私的年金、労働法、金融サービス、家族政策、移民政策、市民社会および外交政策についての、多面的政策改革プログラムを各国が実施しなければならないと提言。

 国家が高齢化社会への移行に備える方法は数多くあるが、どのような改革でも単独では十分ではなく、主要国における各国間および世界経済との相互依存の高まりは、各国の利害が国境を越えるものであることを示している。

 退職政策は人口動態や文化といったその国独自の環境を反映しなければならないが、委員会は各国が国際的な協議やモニタリングの枠組みを構築し、最善の施策を共有することを提言した。2001年8月29日」

 こうした認識をしていたのにも関わらず、未だに社会保障制度の改革は遅々として進まず、税の直間比率の改革や、大きな比率を占めるようになった高齢者の生き方を提起することもなしにすぎてきた政治の停滞は手痛い。政党、政治家は当面の政策論議だけでなく、長期的展望を国民に提示すべきだろう。
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長寿の里大宜味村から学んだこと

2009.04.08 (Wed)

 沖縄県は長寿の県として知られている。その中でも大宜味村は「長寿の里」宣言をしていることで有名である。最近まとめられた村の年譜の参照と聞き取りによると、これに関して次のような推移があったことが分かる。

村の年譜によると、「1969年 白寿祝い4人」とあるので、この時期に既に百歳に達せんとする人が複数おられ、長寿の里であるという認識があったといえる。ちなみにこの時期に日本全国で100歳に達している人は、331人であった。いわば100歳以上生きられるのは、稀なケースであるという認識のもとに、そういう人が複数現れるのは、なにか特別の理由があるからではないかという素朴な疑問に基づく研究が進められることになる。

とりわけ、1987年には東京都老人総合研究所(松崎俊久)調査が、平良一彦(現琉球大学教育学部教授)を交えて実施され、その後、平良氏の継続的な研究が続けられることとなる。その成果は、アカプルコで開催された第14回世界老年学会議で、松崎俊久・崎原盛造、平良一彦によって世界に紹介され、「長寿村」として一躍名を馳せることとなる。こうして世界から多くの老年学者が調査に訪れることになる。特に栄養学的調査が積極的に進められ、健康にいい食習慣・食材といったことが明らかにされてきた。

食生活の面では、以下のような点が注目されてきた。

(1)地の素材を活かした素朴で伝統的な食生活
(2)肉類(豚肉)の摂取量が多い
(3)緑黄色野菜の摂取量が多い
(4)豆類の摂取量が多い
(5)果実類の摂取量が多い
(6)食塩の摂取量が少ない
(7)シークワーサーを取り入れた料理も多い

また、高齢者の生活として浮かび上がってきたのは、次のような特徴であった。

(1)約3割の高齢者がひとり暮らし
(2)自家菜園を持ち、野菜中心の食生活を送っているが、2割の高齢者が配食サービスを希望
(3)月7万円以上の生活費がかかり、金銭管理は妻任せ、男性の女性への生活依存度が多い
(4)80パーセントの高齢者が自分の家系は長寿家系と認識している
(5)高齢者の7割以上が通院、健康管理に気をつけている
(6)地域行事への参加意識は高いが、近所づきあいは妻任せ、男性は畑仕事中心で集団での趣味活動はあまりない
(7)家族と過ごす日常生活に喜びを感じる
(8)体が動かなくなったら、自宅での終世を本音で希望するものの、親族への遠慮から施設入所を希望する
(9)介護保険や保健福祉サービスに対する認知度、認識度が低い
(10)一日の生活リズムの中に適度な休憩時間(午睡等)を取り入れている
(11)ナンクルナイサー、イチャリバチョウデーに代表されるように、ゆったりとした、おおらかな気質

平良一彦教授の監修した大宜味村のパンフレットでも、こうした長寿を支える諸要因として、栄養、気候、休養の他に、労働を含めた運動、行事を含めた精神生活の主観的健康観、そして社会活動性を指摘している。

こうした科学的調査に自信をつけた大宜味村老人クラブ連合会は、1993年に「長寿日本一」宣言を発表した。村を通る国道58号線沿いの「道の駅おおぎみ」(高齢者等活性化センター)の横に、その宣言文が刻まれた石碑が立っている。

80はサワラビ 90となって迎えに来たら、100まで待てと追い返せ
我らは老いてますます意気盛んなり、老いては子に甘えるな。
長寿を誇るなら我が村に来たれ、
自然の恵みと長寿の秘訣を授けよう。
我が大宜味村老人は ここに長寿の村日本一を高々に宣言する。
平成5年4月23日 大宜味村老人クラブ連合会

 今は道の駅として使われている施設は、この宣言の後、1994年に高齢者等活性化センターとして建設されたものである。ここは1998年からは、道の駅の指定を受け、個人出荷者が銘々に農産物等を出荷販売している。また2階では元気な高齢者が週に2回午後2時から4時まで、カラオケ教室に通って楽しんでいる。この中には岩国市出身の88歳の女性もいた。

1995年に沖縄県では、時の大田昌秀知事が、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年の記念式典に際し、次のような「世界長寿地域」を宣言している。

 沖縄県は先の第二次世界大戦において住民をも巻き込んだ国内唯一の地上戦の場となり、20万人余の尊い生命と貴重な文化遺産を失った。戦後、本県は焦土の中から立ち上がり、50年を経た今日、社会経済のめざましい発展をとげるとともに、世界に誇れる長寿地域となった。
 我々は、この長寿地域の達成が県民の努力と保健医療関係者の熱意の賜物であり、その根底には恵まれた温暖な気候、先人の英知の結晶である伝統的食生活や文化があることと思う。
 また、自然と共生し、異国文化を尊重し、社会的弱者と共に助け合っていく「共生」の生き方、方言で「ユイマール」といわれる相互扶助の習慣や、兄弟のように分け隔てなく付きあう「イチャリバチョデー」の県民性がある。
 さらに戦禍の教訓として「命どう宝」という平和を希求する沖縄の心があり、その心に支えられた長寿地域であることを改めて思い起こす必要がある。
 我々は、太平洋戦・沖縄戦終結50周年に当たり、我々の祖先が築いてきた独自の文化を大事にしつつ、健康の大切さ、平和の尊さを訴え、未来に向け全人類の大事にしつつ、健康の大切さ、平和の尊さを訴え、未来に向けて全人類の全人類の幸せの道しるべとなるよう、沖縄県が世界長寿地域であることをここに宣言する。
 平成7年8月18日                     沖縄県知事 大田昌秀

 しかし皮肉にも、この後沖縄県の男性の平均寿命は急速に低下している。沖縄県では、危機感を募らせ、特に戦後生まれ世代以後の食生活に着目し、それが肥満を作り出し、糖尿病など成人病の原因を作って、短命化が促進しているのではないかと考えている。あるいは農業など肉体労働をする人が少なくなり、デスクワークに変化したり、鉄道がなく、自動車交通に依存した生活をしているために、歩くことがない生活をしている人が多いために、運動不足から肥満になって、成人病を誘発して短命になっているのではないかとみている。

表 平均寿命の推移

(男)
     全国  沖縄
1975年 71.79 72.15 (10位)
1980年 73.57 74.52 (2位)
1985年 74.95 76.34 (1位)
1990年 76.04 76.67 (5位)
1995年 76.70 77.22 (2位)
2000年 77.71 77.64 (26位)
2005年 78.79 78.64 (25位)

(女)
      全国 沖縄
1975年 77.01 78.96 (1位) 
1980年 79.00 81.72 (1位)
1985年 80.75 83.70 (1位)
1990年 82.07 84.47 (1位)
1995年 83.22 85.08 (1位)
2000年 84.62 86.01 (1位)
2005年 85.75 86.88 (1位)

 大宜味村でも事情は同じで、現在の75歳以上の世代には、百歳まで生きながらえることができそうな人が多いが、その後の世代になると、糖尿病など成人病の人が多く、とても百歳までは生きながらえそうにない人が多いという。平成18年5月分の診療結果によると、老人の入院(21.43%)及び入院外(32.42%)のいずれも上位項目は循環器系疾患が占めており、腎不全による人工透析の件数が増えて、医療費増大の原因にもなっているといわれている。

 100歳以上高齢者の最近の推移をみると、沖縄県では、2007年の792人から2008年の838人へとなお増加の傾向にある。しかし同時期に大宜味村では18人から14人へ減らしている。今回の調査時点(2009年3月2日)では、更に減って11名になっていた。男性長寿沖縄一であったST(109歳)氏が死亡したので、後は女性ばかりとなっている。2008年4月に95歳から99歳の人口は32人、90から94歳の人口は76人、85から89歳の人口は176人、80から84歳は170人、75から79歳は218人いるので、これからも百歳に達することが可能な人口は確保されているといえるが、短期的には減少することもありえる。

これから百歳に届くかもしれない97歳の人々を地域で祝う「カジマヤー」という沖縄独自の民俗慣習があるが、2008年8月にこの祝いの対象になったのは女性6名であった。ちなみに同じ時に「トーカチ」の祝い(米寿)を得た人は、男性4人、女性25人であった。民俗儀礼のトーカチやカジマヤーの時には、村長が各公民館に出向いて顕彰することになっている。カジマヤーの時には、97歳の高齢者を乗せたパレードが7つの橋を渡ることになっている。これらの時には区民みんなで祝う。

大宜味村では、今は元気な106歳の女性OUさんが、百歳以上高齢者の代表的パーソナリティとして、取材に引っ張り出されている。大宜味村役場の方では、それが彼女の体調を崩す原因になりはしないかと心配している。これまでアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、シンガポール、韓国から調査や取材にきた。韓国からの取材態度が横柄で、役場の人が激しい応酬を繰り返すこともあるという。人のいい百歳以上高齢者が、無料で取材に応じると、限度がなくなり、せっかくインタビューに応じてくれた100歳以上高齢者の体調が悪くなることもあったことを心配して、役場では、なにがしかの謝礼を払って取材するべきではないかと考えている。(時間3000円~5000円程度)。

 1998年に大宜味村に「特別養護老人ホームやんばるの家」(50人定員)が完成し、近所の東村などからも入所できるようになった。現在、大宜味村の百歳以上高齢者11名のうち5名はここに入所生活をしている。調査時点で最高齢者の108歳の女性もここで生活している。沖縄県では、原則として施設を造ることを抑制してきたが、2009年4月からの新しい計画では、いよいよ増加する高齢者に対応するために、施設のベッド数を増加する計画に切り換える予定である。また市町村も小規模多機能型のサービスを整備する計画が急速に進みそうな勢いである。

在宅の百歳以上高齢者のうち1人は一人暮らし、3人は家族と同居、後は入院中。在宅の百歳以上高齢者は、ホームヘルパーのサービスを利用、またデイサービスのサービスを利用して暮らしている。高齢者は、夕方まで元気でも、翌朝亡くなることも多い。孤独死を避けるためにナイトケアが必要だと大宜味村では認識している。一応、今の施策でもナイトケアはできることにはなっているが、事業者の方ではなかなか取り組むところが少ないのが現状である。大宜味村では、インフォーマル・サービスとして、区長による声かけをはじめ、地域包括支援センター(現在は社会福祉協議会へ委託)関係者や民生委員の訪問。手すきの人による見守り隊のボランティア活動などを、公民館ごとに実施している。

食事サービスとして弁当配達は、月2回友愛訪問型のサービスを実施している。2004年に給食サービスを試みたが、サービスを受ける高齢者に好き嫌いが多く中止することになった。周りが一番心配しているのは、高齢者の夏場の水分補給である。たとえ家族がいても、ほとんどの人が中部南部に出ている。そういう人は区長に残した親のことを頼んでいる。しかし区長一人ではとても支えきれない。高齢者自身が集まって支え合えれば、水分補給などの心配も少なくなる。

 大宜味村は、「健康長寿の生き生き輝く文化の村」を掲げ、施策のキーワードとしては、「長寿の里」をひとつの柱にしている。他に「芭蕉布の里」、「シークァーサーの里」、「ブナガヤの里」という村おこし概念が追求されている。「長寿の里」に関しては、以下のような目標を立てている。

(1)健やかあふれる長寿の里(健康な65歳、活動的な85歳を目標)
(2)安らぎあふれる長寿の里(地域密着型サービスを中心としたサービス)
(3)いつまでも暮らしたい長寿の里(健康長寿を支えてきた環境を評価し、本村をフィールドとした健康長寿の研究を推進し、学術的な裏付けを持つ質の高い大宜味ブランドを確立して、長寿と癒しの里の地域振興を図る)

 大宜味村では、こうして「長寿」と「食」をメインにしたツーリズム開発に関心を寄せている。一方では、なお住民はとりたてた食の開発には消極的な気質の持ち主であるが、他方で、よそから来る人を受け入れる土地柄でもあるので、ツーリズムの可能性は高い。大宜味村が実施した調査によると、次世代を担う子供達も「長寿の里」というコンセプトに対して魅力を感じているようである。これは運動会などで、子供たちがいつも高齢者と付き合ってきたからであると大宜味村では考えている。将来的には国際長寿村構想を大宜味村で実現させたいという構想が出されている。沖縄県の水ガメ確保のために作られたダム工事の廃土を埋め立てに使って、広大な平地が造成されているので、ここを舞台にその構想が実現できればと考えている。しかし、今は経済情勢の変化でこの構想は中止状態に置かれている。

 地域社会として「長寿」をキーワードとする開発で提起される今後の課題は以下のような点である。

(1) 「長寿」の操作概念(指標)化:
平均寿命、健康寿命、百歳以上高齢者実数、人口10万人当たり百歳以上人口割合、高齢コーホート生残率など、とりわけ人口規模の少ない自治体でも使える操作概念(指標)化の必要性
(2) 現在の百歳以上高齢者および家族介護者に対する生活支援:
水分補給、寄り合い、ナイトケア・24時間訪問サービスなど、家族のレスパイトケアなど生活支援サービスの必要性
(3) プレ百歳(百歳に達しようとする高齢者)に対する生活支援:
健康で活動的な百歳以上の生活目標の提示とエンパワメントの必要性
(4) 次世代高齢者に対する生活改善:
不健康な生活に陥っている世代に対する啓発の必要性
(5) 科学的調査を実施するための各種要件整備:
行政上発生するデータの学術的分析および政策科学的分析を阻害する過度の「個人情報保護」に対する緩和策の必要性
15:10  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

地域マネージャーの活躍

2009.01.17 (Sat)

NHKクローズアップ現代で、総務省の集落支援員制度の発足に先立って、各地で取り組まれている実践例を紹介しながら、コメントをつけた。

http://www.nhk.or.jp/gendai/?05110219

これには各地からいろいろな反応があり、類似の事業への取り組みが農林水産省でも補正予算にかけられているとか、自治体として既に類似の取り組みを始めているといった情報が寄せられている。また個人として、できればそうした仕事を始めたいという定年間際の人が相談されたりで、相当反応は大きい。現下の失業問題の対策としても可能性があるのではないかという意見もあった。国内版青年海外協力隊や国内版平和部隊といった受け止め方で期待を大きくしている人もいた。

地域住民のニーズと各種の支援事業を結びつける人材を地域マネージャーとかアニメーターというが、こうした人材が多数いるとはいえない。これからはこうした人材育成とフォローアップの取り組みが一層重要になるだろう。
20:54  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

「外国人材による看護・介護」シンポ

2009.01.17 (Sat)

「始動する外国人材による看護・介護:受け入れ国と送り出し国の対話」という国際ワークショップが佐川平和財団の主催で2009年1月15日16日、東京で開かれた。その中で印象に残ったのは、送り出し国側からは、EPAの枠組みを超えて、看護師資格の相互認証に踏み込むべきだという主張であった。二国間の経済協力協定であるEPAでインドネシア・フィリピンから看護師・介護福祉士候補者を受け入れるという枠組みは、外国人研修制度のバリエーションでしかなく、「研修+限定的就労」という性格をもつものであり、ほかの留学生やIT技術者の受け入れとも違って、決して最善の枠組みではないという批判も飛び出た。韓国では日本と同じような外国人研修生制度を実施していたが、これをやめて、今では外国人労働許可制度という新しい枠組みで基本法まで制定している。もうそろそろ二国間協定を超えて多国間協定に踏み込む必要があるのではないかという意見もあった。「派遣切り」などといわれる外国人労働者にとっては逆風の吹きすさぶ中であったが、経済循環に規定されない労働力需要のひとつとしての看護・介護に注目しなければならない。日本は、外国人労働力を導入するなら、今の規模ではコストがかかるだけであるから、もっと大量に受け入れるように踏み切らねばならないという提起もなされた。

第2日の議論では、もっぱら外国から介護・看護人材を受け入れた経験とそれを支援する受け入れ病院・施設の努力、地方自治体の努力など、国内外の経験が報告された。そこでは、EPAの枠組み以外の先行事例として、ベトナム人看護師の研修受け入れ、在日フィリピン人のヘルパー2級資格者就労受け入れなど日本のケース、外国人看護・介護人材を積極的に取り入れている多民族国家(7ヶ国語が使用されている)シンガポールのケース、外国人労働者の4割以上を占めることになった看護工と呼ばれる介護人材などに対する支援のために11人のバイリンガルを配した公設支援センターを設置している台湾のケースなどが紹介された。またEPAの枠組みで動き出したインドネシア看護師・介護福祉士候補者に対する日本語教育の現状も紹介された。外国人看護・介護人材のコミュニケーション能力を一方的に要求するだけでなく、受け入れ病院・施設側の「よろず相談担当者」配置や継続的な研修機会の保障、自治体における雇用主と被雇用者に対する遵法指導相談、地域社会の理解など、受け入れる側の改善努力も不可欠であることが改めて浮き彫りになったといえる。

19:50  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

結婚写真撮りの風景

2008.10.22 (Wed)

 高齢化に関わるシンポジウムで中国の青島市を訪問した。中国、韓国、日本の政策を考えるシンポジウムの一分科会であった。全体のトーンは、アメリカ発の金融危機の波及に対するかなり厳しい見通しの中で、経済連携、医療倫理、環境、高齢化、現在文化といった課題についての論議が展開した。しかし高齢化の分科会は、3年目の会でありながら、論議が深まらないもどかしさを感じてしまった。
 シンポジウムを終えて、市内を見てみようということになったが、そこで見たのは、結婚記念写真を撮るために、ドイツ風の建物、公園、海岸など、至る所にたむろするカップルと撮影スタッフの数の多さであった。近くでみると、白いウェディングドレスは汚れ、その下はGパンであり、スニーカーを履いて、重たいドレスを担ぎながら次の撮影現場へと急ぐ姿に、圧倒されてしまった。写真で白く見えるのは海岸に陣取って撮影されているカップルたちである。
 この風景をみてしまうと、まだ中国では、高齢化という言葉は知っていてもまだ実感がないという現実は分かる。日本の経験からいえば、高度経済成長を成し遂げた1970年が人口高齢化の段階に入った年でもあったのだから、当時はやはりこんな感じだったのだろう。けれども、その後あっという間に30年が過ぎ、結婚が少なく、子供が生まれず、人口減少が生じ、高齢者のみ増加する社会になっていることを嘆く日本になってしまった。中国も20年後には確実にこれらのカップルが、親たちの老後を考えなければならない時代を迎える。たとえ実感がなくとも、準備は怠りなく進めるのが政策立案者たちの責務だろう。
15:23  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

エクメネ

2008.10.10 (Fri)

地理学では、エクメネという概念がある。人が住める地域という意味で、ギリシア語に由来するという。この反対語がアネクメネである。このふたつの地域を分ける要件は、多くの場合は自然的条件である。あまりにも寒いところ、逆に熱いところ、あまりにも高いところ、逆に低いところには、人間は住めない。ところが人間は技術を開発し、エクメネを拡大し続けてきた。宇宙開発の結果、将来的には大気圏外も人間のエクメネとなる可能性さえ出てきたといえる。
ところが、逆にこれまでエクメネだった地域がアネクメネに変化している事実がある。水の枯渇による砂漠化、海面上昇による低湿化、地震や洪水や噴火や地震による被災などなど、次第に人間はこれまで住んでいた所から撤退を余儀なくされている。そしてこうした問題の日本的な現象の一つとして、「限界集落」という概念が提起されている。元来この概念を提起したのは地理学者であるから、その背景にはこのエクメネ論がある。標高の高い地域、都市部から遠い地域などを高距限界地域などという概念も使われてきたので、研究者の中ではあまり抵抗がない概念であったのだろう。
しかし行政やマスコミが「限界集落」という概念を多用するに及んで、そこに住む住民からの反発が飛び出している。「人が住んでいるところを、なにも知らない他所の人間が限界集落などというな!」という怒りが爆発している。人類学では、客観的に外側から観察して規定する概念をエティックな言葉の世界といい、その反対に、そこに住んでいる人が内側で了解して使っている概念をイーミックな言葉の世界として対比しているが、まさに「限界集落」というのはエティックな概念そのものである。住民の反発を呼ぶようでは、たとえねらいが住民の生活支援をめざすために使われた言葉であったとしても、あまりよい概念とはいえない。
山口県では、「小規模・高齢化集落」という代替概念で統計的事実に即した検討を進めており、長野県では「生涯現役集落」、京都府の地方からは「水源の里」などといった代替概念が提起され、宮崎県などは代替概念を公募するまでになっている。国土交通省は「維持存続が危ぶまれる集落」、内閣府は「基礎的条件の厳しい集落」というような言い換えをしている。こうした言い換えは単なる言葉の遊びではない。地域政策概念として力を発揮する可能性がある。「過疎地域」、「離島・半島」の概念で何十年もの間、行政支援が行われたように、最近では「中山間地域」という概念でさまざまな支援策が講じられたように、きわめて重要な問題提起なのである。
09:11  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2008年老齢事業発展国際研討会と第4回ACAP

2008.10.08 (Wed)

私たちが昨年韓国慶尚南道南海郡で開催した第3回アジア太平洋アクティブ・エイジング会議(略称ACAP)の席で、出席した中国の上海市人民対外友好協会は、2008年にこの会議を上海で開催したいという意向が示された。そこでわれわれは第4回ACAPが上海で開催されるという理解で準備を行ってきた。
われわれが入手した上海市人民対外友好協会からの招聘状には、2008年老齢事業発展国際研討会という名称とともにACAPという名称が入っていた。
韓国の第3回ACAPの推進者であったハン・ドンヒさんからは、何度もACAPの名前を入れるよう申し入れすべきだという助言を得ていたのですが、私自身、一体どこが席に主体なのか分からず、客の意識でしかなかったことを反省せざるを得ない。
今回、上海の会議に出席してみて、ACAPの名前が全く使われていないという事実が明らかになり、これにはさすがに私も驚いた。私個人に対する扱いや、内容面でのアクティブ・エイジングに関連する報告などの面では十分過ぎるほどの厚遇であったが、どう対応してよいのか分からない状況だった。
あわてて私はオープニングの時、クロージングの時に発言して、ACAPとしての活動の中から上海市の会議につながったことを伝えようとしたが、本当に意が伝わったかどうかは分からない。
会議が終わって帰る時に空港で偶然あったCさんに、この点を含めて分からないことについて聞いてみたところ、いくつかのことが判明した。
1 上海市人民対外友好協会は、客人として私たちや国連、WHO、その他の対中友好協会を受け入れることに専念したようである。そして会議の内容そのものの企画は、上海市の民政局に任せたようである。民政局はこれまで民政局自身が持っている不定期だが継続的に開催している国際会議を開催することで対応し、上海市人民対外友好協会から持ち込まれた企画を取り上げた。これで配られた冊子が2年前の会議の報告書であった意味がようやくこれで飲み込めた。つまり、会議は民政局のこれまでのイベントを引き継ぐという基本的なトーンで進められることになったのである。われわれは日本料理で言う「隠し味」になってしまった。
これからACAPの活動を前面に打ち出すには、われわれも、事前に現地主催者と1回は会議を持って協議しないと、今回のような事態が生じるおそれがあることを学んだ。
2 2日目に予定されていた福祉機器展は、われわれの会場の近くで実際開催されていたようである。しかし視察が「熱烈歓迎」してくれる社区や文化活動センターに振り向けられたのは、上海市人民対外友好協会の持ち味を出そうとして図られたアイデアのようである。われわれの方から福祉機器展の視察に行きたいという意思表示をすべきだったのだろう。ちなみに福祉機器展の方は、民政局が積極的だったようで、当初はACAPとしても福祉機器展に出品しないかという誘いがあったが、上海市人民対外友好協会の方には具体的に伝えられておらず、われわれの用意したブースもわれわれの方の会場で一時設置するだけという結果になってしまった。
3 分科会は当初2つ用意されるはずだった。しかし申し込みが多くて、実際には4つ実施された。これについても、別の組織である華人老齢照顧事業大会の年次会合と合わせた分科会が滑り込んでいた。中国ではこういう合わせ技は珍しくないようである。
4 あまりにも報告数が多く寄せられたために、人によっては発表もできなかったようです。私たちのACAPグループについては、発言場面の確保に最大限配慮されていました。私自身はACAPの代表者として3度も発表の機会を得られたのは、光栄なことだった。しかし課題を数多く学んだことも事実である。
20:07  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

ハワイ太平洋老年学会

2008.10.08 (Wed)

 この学会は、2年に1度開催されている。
 今回は「ただ受け継ぐだけでなく仕事と人生を再生しようLeaving Legacy: Recreating our work and life」をテーマにホノルルのハワイ・コンベンションセンターで15日16日の2日間で行われた。その基調報告で、ナンシー・ホワイトローさんというヘンリー・フォード健康システムの研究員は、元は高齢化国家評議会のメンバーだった人であるが、健康増進というのは、単にサービスを利用することではなくて、システムを構築することであるという観点から論じていた。彼女の提示したグラフで、面白かったのは、75歳でハイリスクの人もローリスクの人も同じような水準に収斂するが(つまりいずれも同じようなレベルの衰えを示すようになるが)、その後はハイリスクの人とローリスクの人の差が大きくなり、再び90歳に達すると同じような水準の衰えを示すようになるという結果であった。
 ともあれ今日では多くの人が長生きする時代になっているのに、年齢差別があり、いろいろな格差があり、科学が共有されておらず、財産が利用されず、システムが断片化されている状況は解決されなければならないと主張していた。そのためには、社会生態学的な観点が必要であるとして、コミュニティ環境の特徴をつかんで強化することが必要であるとも言っていた。
 もうひとりの基調報告では、全国地域高齢化局協会事務局長のサンデイ・マークウッドさんが、老後も住み続けられる地域の創造という観点から話された。彼女は高齢化に取り組む総合計画が必要であることを主張し、健康増進や治療や福祉だけでなく、住宅や交通や都市計画などを含めた取り組みが重要であるといっていた。そんな取り組みをしている自治体をいろいろと紹介してくれた。Stracharm, NH. Arvada,Co. Buncomle,NC, Knox County, TV. Detroit, MI. Seattle, WA. St.Lui Park, MN. SanDiego, CA. Massfed, MA, Slottde, AZ., Atlant, GA. Chalottesville, VA. NewYork。など
 午前中の分科会では、カレン・ハヤシダさんが、介護の仕事をする人材が不足することへの対応策のひとつとして、機器の開発について紹介した。質疑では、そのコストについて質問が集中していた。これに対する答えは、訪問看護や入所の費用との比較をすることであった。機器の導入のほうが安くつくという結論であった。
 午後の分科会では、トニー・クリーグさんが、PACEシステムの導入を話し、ほかの人がCAREシステムを紹介した。
 オープン・フォーラムでは、マケイン陣営とオバマ陣営から議員を招いて、高齢者施策を話させて、それに質問をするという趣向であった。しかし、マケイン陣営の代弁者は、はじめから高齢者陣営は票にならないとあきらめた格好で、オバマのいうようなことを聞いていては税金が高くなるということと個人的なマケインの人物評に終わっていた。逆にオバマは高齢者施策として、医療改革や介護保険などの問題に詳しく言及していると紹介はしていたが、議員の話しぶりにいまひとつ迫力がなく、物足りない論議に終わった。観衆からは大いに苛立ちがみえた。
19:09  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

地方都市の人口減少と移住外国人

2008.10.08 (Wed)

 地方都市の人口減少は、少子高齢化が進んだ結果である。そしてこれからもこの傾向が続くことは年齢別人口構成をみれば、容易に予想がつくことである。しかしそれでも人々の感覚はその現実に追いついていけない。今の65歳以上高齢者の半分しか14歳以下の子供はいないのであるから、どれだけ地元に子供をひきとめたからといっても、人口は減少する。そして、人口減少に歯止めをかけるとすれば、次のような方策しかない。
1.子供の生める年齢層ががんばってもう一人か二人の子供を生めるようにする社会的努力が必要であろう。だが、女性が子供を産むことの負担を一手に引き受けざるを得ない状況が続けば、まず子供は増えない。子供を生む家族あるいは女性に対して、子供を生まない、生めない女性や男性や家族やすべての年齢層が支援する社会保険や税で支援する「公的育児保険」あるいは「育児所得保障」を考えるか、全事業所で「所得補償つき育児休暇」を実施するほか、出産促進はできないだろう。
2.高齢者がいっそう長生きすれば出生数の減少を補って人口増加を実現できる可能性はある。だが、それにも限界はある。
3.そこで自然増減ではなく社会増減に目を向ける必要がある。いかにして転入超過を図るかという方策である。そのためにはUJIターン策をあらゆる年齢層に即して多様に取り組む必要があろう。よそで勉強した青年の帰還、よそから結婚しにやってくる男女、よそで仕事をしていた壮年の地元での起業、定年後の帰郷や新田園生活、子供や高齢者の養護受託などありとあらゆる可能性を検討する必要があろう。地元在住人口だけに目を奪われると、やせほそる人口となるが、もともといた人口が全国に広がって増えていると考えれば、それら拡大した人口のネットワークをまずは強化する必要があるだろう。
4.さらに人口が減少する地方都市でも、確実に外国人が移住し始めている。人種もフィリピン、インドネシア、ロシア、中国、韓国とさまざまである。配偶者、エンターテイーナー、研修生という形で転入してくる外国人は、短期滞在から次第に長期滞在あるいは永住へと進む可能性が高い。すでに地方都市でも、外国人の母親とその子供を支援しなければならない社会的ニーズに取り組む活動が始まっている。合計特殊出生率という指標で人口単純再生産の目安となる2という数値を維持できているのは先進国ではアメリカ合衆国だけである。それが可能だったのはアメリカ合衆国が移民の受入国であり続けたからである。そうだとすると、地方都市の人口減少対策としては、この移住外国人の招致しかないのかもしれない。それも今の規模よりもっと大量に受け入れなければならない。
こういう実態に備えた地域の取り組みが、徐々に芽生え始めている。
18:57  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

アクティブ・エイジングの課題

2008.10.08 (Wed)

 まだ人々が長生きできなかった時代には、長生きを目指すことが社会にとって重要であった。自然災害や戦争などによって危機にさらされている社会では、ことさらに長生きできる平和な社会を理想と考える。こうした考えで社会の状態を測る目安のひとつが平均寿命である。生まれたばかりの子供が何歳まで生きられるのかという確率を指標にしたものが平均寿命である。それぞれの年齢にはそれぞれの平均余命があるので、平均寿命85歳の社会に生きる85歳の人々の平均余命はもちろん0歳ではない。
 ともあれ、長生きできるようになった社会では、健康に長生きできるかどうかに関心んが移る。こうして開発された指標が健康寿命である。健康寿命は平均寿命より短いのが普通であるが、その差はおよそ6年から8年くらいある。この差が要介護の年数と考えてよい。みんな長生きするようになったとしても、要介護状態が長引くことは決して好ましくはない。しかし現実にこうした状態になる人が多くなる社会では、介護について取り組まざるを得なくなる。先日、上海での国際会議では、どうも上海市はかなり本気で介護保険を検討中のようであった。ドイツ、日本、韓国に続いて、中国が介護保険を導入する日が来るかもしれない。
 健康に長生きできる人々が多くなる社会では、その健康で長生きな人々が活躍できる社会をつくることが重要な関心事になる。それがアクティブ・エイジングという政策理念が登場してきた背景でもあろう。その指標として、エイジ・フレンドリー・シティという概念がWHOから提起され、世界の都市がネットワークを組み始めている。AARPも同様なコミュニティ・アセスメントを提案をしている。先日の上海の国際会議で一緒になった国連の関係者は、都市だけでなく、エイジ・フレンドリー農村を提起するつもりだと話していた。ともあれ、日本の「いきがい」、「生涯現役」、「社会参加」とか、欧州でいうソーシャル・インボルブメントなどが語られるのも同じ文脈である。平均寿命や健康寿命と同じようにわかりやすいアクティブ・エイジングの目安を開発する必要があるだろう。
 そして、これらの極めた最後の課題が尊厳死である。欧州やオーストラリアなどではすでにこの取り組みが始まっている。しかしそこにはいろいろと文化的な課題が絡んでくる。日本の民俗的な考え方では、あの世にいった者は、定期的にこの世にもどってくる。それを迎えるのが盆や正月や彼岸である。仏教では輪廻を説いている。しかし「死んだら何もかもおしまい」だと考えると空しいという人が多い。死にゆく人にとって尊厳、リビング・ウィルの課題に応える目安を立てることは容易ではない。さらに周囲の人間にとっても尊厳死や安楽死の問題はいずれ避けることのできない大きな問題になるだろう。
18:51  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

認知症の将来予測

2008.07.13 (Sun)

 新聞報道では、2035年の認知症将来予測で、東京都が最も多くなり、伸び率では埼玉県が一番高いということであった。その記事の根拠になった平成19年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)「精神科救急医療、特に身体疾患や認知症疾患合併症例の対応に関する研究」の分担研究報告書を読んでみた。
 認知症についての調査は、病院への来院者について調べるのか、施設・病院等入所・入院者について調べるのか、それとも在宅の高齢者について調べるのかで、結果が異なると考えられる。よく知られている大塚俊男氏の研究は、1990年代の在宅認知症有病率に関する11の調査報告を概観して、1980年代の有病率とほぼ変わらないと確認しているので、今回の研究でもその成果を踏襲している。違いは、都道府県別に将来を予測して積み上げたということだろう。その結果、大塚が2001年に予測したよりも遙かに高い推計値が出されたのである。2035年に認知症高齢者は約445万人になると推計されているのである。
 われわれが手がけているのは、介護保険に基づく要介護認定の調査データに基づく将来推計であるが、3都市のデータに基づく予測によると、2025年において、低い方の予測でも約493万人になる計算である。中でも自立度が低いⅢ以上は192万人という計算結果がある。この研究は持続中である。
 いずれにしても、将来の認知症高齢者の将来推計値は大きな課題を提起しているといえる。認知症の治療方法の開発、認知症高齢者の介護方法の開発、認知症高齢者が生活するまちづくりなど、病院対応だけでない対策を考えなければならないことだけは明らかである。(2008.7.13)
17:22  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

仲の良さ悪さを越えて

2008.07.11 (Fri)

 ある会合でむらの活性化のためには、結い直しというような社会関係資本の強化が必要だと話したら、「村の人間は仲がいいわけではない。どうして仲良くしなければならんのか」とかみつかれた。
 そうなのだ。村の人間は仲がいいということを言ったつもりはない。ただ社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)という概念は信頼関係とか互恵関係のことをいうので、都会の人間が使うと、まるで仲良しクラブの助け合いのように受け止められたようである。
 だが、村の人間はお互いに長い歴史を通じてさまざまな利害関係のもつれの中に暮らしてきたことは事実である。一方では村の人間はその利害状況を越えて、中がいいとか悪いとかを越えて自分たちの生活を守るためには一緒にやらなければならないことがあることも知っている。いわば大人の関係をわきまえていた。
 これに比べれば都会の人間の間では、同じ関心を持つ者同士が集まって生活できる社会なので、そうした大人の関係は不要なのかもしれない。民間非営利組織が成立するというのも都会的発想なのかもしれない。あいかわらず農村では地縁組織が生き延びているというのもそうした関係性に対する意識の違いがあるのかもしれない。
 現実には、たとえ似たもの同士の集まりで問題を処理しようとしてもうまくいかない場面は多い。そんな時、立場は違っても共通の課題にそれぞれに取り組んで解決するという関係の取り結び方が、「コラボレーション」、日本語に訳して「協働」ということになる。もともとコラボレーションは、労働を共にするとか合作という意味である。仲がよかろうが悪かろうが、乗り合わせた船が沈むのであれば、協力し合って逃げ出す他ないだろう。農村にはそんな知恵があったはずである。(2008.7.10)
10:20  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

韓国老人長期療養保険制度はなぜ介護支援専門員を置かなかったか

2008.07.09 (Wed)

 この7月に韓国は、世界で3番目の公的介護保険制度を持つ国となった。ドイツ、日本についで、韓国がこの制度を導入したことで、これから多くの研究者や政策立案者が比較研究を始めるだろう。
 韓国はドイツと日本の先行制度をよく研究しつくして後に今の制度を作ることができたはずである。この後発の強みを発揮して、日本の制度にはあったが、韓国の制度では取り入れなかった仕組みがある。その代表的なものが「介護支援専門員」という仕組みの導入であった。
 現在日本で「介護支援専門員」といわれているのは、介護保険制度の在宅介護支援事業に位置づけられている介護報酬の支払われる仕組みである。要介護認定を受けた人がサービスを利用しようとする時に、自分の状況をアセスメントしてもらい、自分にあった介護プランを提示してもらって、介護サービス事業者との契約にむけて橋渡しをしてくれるのが介護支援専門員である。医師、看護師、社会福祉士、介護福祉士など既存の基礎専門資格を持った人が都道府県で実施される試験とその合格者に課せられる研修を終えた人に与えられる資格である。性格的には准公務員といえよう。
 そもそもこの介護支援専門員というのは、ケアマネージャーという英米で普及している資格の導入しようとする動きから始まったが、ドイツの介護保険制度では、要介護認定はあってもケアマネージャーは置かれていなかった。またアメリカやイギリスには、介護保険制度はないが、ケアマネージャーがいて、複雑な介護サービスの利用相談にのる人として、大学院修士課程レベルの学歴と重ね合わせて考えられていた。このように考えると、日本の介護支援専門員を国際的なケアマネージャーと同じと考える訳にはいかない。きわめてドメスティックな制度であるといえるだろう。
 韓国は日本の介護支援専門員が、建前としてはサービス利用者の立場に立ってケアプランを立てるといいながら、実際には介護保険制度の点数計算というペーパーワークしかしておらず、人件費だけがかさんでいるということで見切りをつけたようである。しかしケアマネジメントというプロセス自体の必要性は考えているようである。むしろ、韓国はサービス・デリバリーシステム(サービスを利用者に適切に届ける仕組み)をケアマネージャーという人に委ねるのではなく、組織的に管理する方式を採用したといえる。こうして韓国老人長期療養保険制度を管轄する全国組織の公団が要介護認定とケアプランの提示を行い、サービス事業者の評価情報を徹底的に公開するという方針を決めたようである。この韓国方式と日本方式あるいはドイツ方式の比較研究が今後は大きな関心事になるだろう。
(2008.7.8) 

14:31  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

「よいこと」のコスト

2008.07.02 (Wed)

 地方分権が取りざたされるようになった時期、市町村の機構改革が行われた。これまでユニークなまちづくりなどの企画を扱ってきた課と、財政を担ってきた財政課が一緒になって企画財政課という組織になったところが多い。そうするといままで「よいこと」を企画すれば、財源を費やすのは当然であると思ってきた企画課の職員は、「よいこと」するにもコストがかかり、場合によっては財政負担を重くすることで、住民に負担を抱えるという事実を突きつけられ、アイデアを出す気力がなくなってしまったという。
 そして、今ではこうした論議が医療・福祉分野でもおきている。要介護高齢者のためにサービスを多く提供しようとすると、介護保険料などが高くなり、サービスを使わない人にとっては、納得がいかない状態になってしまう。いわゆる高福祉高負担という問題である。「よいこと」なのだから金をかけてもいいではないかという議論は次第に通用しなくなっているのである。だからといって、サービス量を減らしたり、利用料を高めたり、人件費を削減するようなことをすると、たちまち関係者からあらたな抵抗を受けることは必至である。
 もう一度、制度的な「よいこと」をコスト感覚に基づいて、納得できるかどうかを評価することが必要なのであろう。(2008/6/29)

12:10  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

百歳以上男女の元気

2008.07.01 (Tue)

 いろいろなことが右肩上がりで成長する時代は去って、いまや右肩下がりになる時代になっている。ところがそんな中、なおうなぎのぼりに増えているものがある。それは百歳以上老人の数である。今では百歳以上老人は稀な存在ではない。百歳以上老人が増えたことでわかったことは、男女の差である。男性は弱ると死ぬのが早いのかもしれない。そこで残った百歳以上男性は、きわめて丈夫な人々である。逆に女性は弱ってからもなかなか死に至らないようである。百歳以上女性の多くは認知症などにかかっている。しかし、これは施設や病院で多くの高齢者に接している専門職の人々の日常感覚とは異なっている。「女性の高齢者は元気があるが、男性の高齢者は弱弱しい」というのが実感だという。このずれは、「ハイリスク・アプローチ」と「ポピュレーション・アプローチ」の違いを認識することで解消する。つまり施設や病院で働く人々は「ハイリスク」のターゲットしか見ていないということになる。しかし施設や病院には用のない人々を観察する機会がないといえる。これに対してポピュレーション・アプローチは、元気な人も元気を失った人も全部を観察することになる。
 とかく患者や要介護者に向き合う臨床家であるとか、社会的弱者の存在を世に問うことを使命と考えるジャーナリズムも、「ハイリスク・アプローチ」の落とし穴に落ち込む恐れがある。「ポピュレーション・アプローチ」による知見も含めて、ものごとを見なければ、判断が偏るということだけは肝に銘ずべきだろう。
 ともあれ、これから長寿を喜ぶというだけでなく、とりわけ女性の健康寿命を実現するためのプログラム開発が問われるといえるだろう。(2008.6.27)
12:58  |  理事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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